み教え・ご利益
秋葉さまのみ教え・ご利益
秋葉さまのみ教えは、その真言によって窺うことができる。
仏さまには皆それぞれの真言があるが、一体この真言とはいかなるものであるかといえば、これはお経とは違うものである。
真言とは、梵語のマントラという語を訳したもので、マントラを分解するとマンは思想の儀、トラは衛護するという儀で、思想を衛護するもの、即ち言語ということである。
それが一転して聖徳をたたえる賛歌などを指すに至って神聖語、若しくは真言ということになったのである。
面してこの真言は真言宗で専ら用いてはいるが決して真言宗に限ったものではなく、歴史的にこれを考えると、釈尊出世以前から存在しているので、真言宗とか仏教とかの専有ではなく、印度宗教に何れにも共通しているものといってよい。
しかし、真言宗においては教学上の理由から特に真言を尊重し、神聖視するのである。
秋葉さまの真言
オーン(om)ヴィラ(vira)ヴィラ(vira)クハン(kham)ヴィラ(vira)クハン(kham)ナ(na)スワーハ(svaha)
※訛った現在音では、次の如く唱えられている。
オーン、ヴィラ、ヴィラ、ケン、ヴィラ、ケン、ノー、ソワカ
【訳】
オーン:神秘的な掛け声(翻訳し能はざる絶対不可思議の語)
ヴィラ:塵垢を離れた(神よ)
ヴィラ:塵垢を離れた(神よ)
クハン:虚空(の如く)
ヴィラ:塵垢を離れた(神よ)
クハン:虚空(の如く)
ナ:無(そのもの)よ
スワーハー:成就あれかし!!
この真言の訳語の中に「神」という語が用いてあるが、これは日本の神道の神ではなく、宗教学で信仰の対象を指す語と解されたい。
この真言の意味を更に達意的に云えば、秋葉さまの如く塵垢を悉く離れて虚空の如く清淨な心の世界に悟入せんことを欣求するという意味である。
秋葉さまのみ教え
この真言の中に「塵垢を離れた」という語が三度繰リ返されておるが、この塵垢を三毒の煩悩(貪・瞋・痴)と解しても三妄執(さんもうじゅう)と解してもよいであろうが、しかし真言宗の立場から言えば三妄執というのは「麁妄執」「細妄執」「極細妄執」の三つの迷信である。
・麁妄執というのは、心以外のものを実現するものの如く考え自他の差別を存する迷心(人執品の惑)
・細妄執というのは、物(原案)が和合して出来たものに就てはそれが架空のものであると事を知ったが、物(原案)其物は実在するものの如く考え、生死涅槃の二法実有なりと考える迷心(法執品の惑)
・極妄執というのは、一切の法(心と物と)に於いて能所、主観客観の区別ありと考え、平等法界の真理に背反する迷心(無明品の惑)
以上の如き人間一切の迷見を打破して大悟徹底し、最高最大の人格を完成するのが秋葉さまのみ教えである。
秋葉さまのご利益
かくして秋葉さまは人間生活のあらゆる苦悩煩悩を救済する御誓願を立てておられるのであるから、これを折ればもちろん七難(あらゆる難の意)消滅のご利益を与えられるのであるが、世には秋葉さまを以て、専ら火難消滅のご利益を与えて下さるとのみ思う人もある。
もちろん鎮火のご利益も授けて下さるのであるが必ずしもそればかりではなく、広く七難を救い七福をお授け下される。
七難とは火難・水難・羅刹難(人を食う悪鬼の難)・刀杖難・鬼難(人に災難を与える悪神の難)
枷鎖難(刑務所に入るような難)・怨賊難であるがこの中でも火難が一番現実的であるから火難を以て七難の代表的なものとして鎮火のご利益が自然に強調宣揚されたものと考えられる。